新緑の美しさが体にパワーをみなぎらせてくれる大好きだった5月は、私にとって特別な月になりました。
結婚記念日と、夫を見送った5月。
去年のあの、突然やって来たお別れの日から1年が経ちました。
5月17日、一周忌の法要のために千葉から長崎に移動しました。
空港から家までの道のりをバスに揺られながら、この一年のことをいろいろ思い返していました。
去年、葬儀は夫を福岡から長崎まで連れていきそちらで行い、そのあと私は福岡と長崎を行き来し、いろいろ手続きを済ませ、7月に長崎に引っ越しました。
家があるのは長崎の田舎のほうですが、新婚生活は長崎空港近くの官舎でスタート。
長崎は、私たちの歴史のスタートでもある思い出深い土地です。
去年はそのスタート地点の長崎に一人で戻り、家近辺を車で走っているだけで「どうして一人でこんなところを走っているんだろう」と泣いてばかりいました。
新婚時代に過ごしていた場所近くに行ってはもちろん悲しい、寂しいの嵐。
関係のない集合住宅の洗濯物を見ただけで「ああ、もうこういう家族のいる生活はないんだ」と思い、運転しながら泣いて。
夕方には、夫が元気な時には二人で散歩し、夕日を見ていた海辺でまた泣いて。
しばらくはそんな感じでした。
そんなある日、夫の夢を見ました。
夫はいつもと同じ。生活も福岡でのその時のまま。普通の、いつもの会話をしただけの夢でした。
「あれ?もしかして普段わからないだけで、いつでもそばにいて、今までと変わらないの?」そう思えてきて、それから少しづつ力が湧いてくるようになっていきました。
部屋にあるたくさんの家族写真。はじめは、もうこれが増えることはないんだと、悲しいだけでした。
でもだんだんと、この幸せだった時間は確実にあった時間なんだと思うと不思議と勇気が出てくるようになっていきました。私たちには積み重ねてきた27年がある。それは簡単に、彼が死んだからって消えて無くなってしまうことはない!それが私の中で大きくなっていき、変わらないものとして自信のような支えとなってきました。
これからは今までのように、二人で何かを一緒にすることはどうやってもできません、この世では。
でも、これからは形を変えて、まだまだ私たちの縁は続いていくと思えるのです。
すべて終わったわけではない。そう思うと、一人でもなんだか寂しくない気がするのです。
運転しながら泣いてばかりいた家から大村市の間の道も、もうほぼ泣かなくなりました。今は、まだまだ終わってないという希望があるから。
パパちゃんの笑顔が見たい。美味しいもの食べさせたい。いろんな話したい。
時々そんなことを思い、それはかなわないことと思うとしょんぼりもします。
でもきっと、そういう形ではなくて違う幸せが私たちを待っていると、今は信じられるのです。
去年、生まれて初めて絶望ということを経験しました。
朝起きて、未来を思うとそこにはずっと夫がいない、、真っ暗闇がそこにはありました。
でも今はいろんな支えのおかげで希望があります。
あなたにも必ず希望を思い出す時がくるよ。