がんサバイバー50代主婦 突然おひとり様になりました

夫が自ら旅立って生活が一変。まだまだ生活が落ち着かないけどリスタートを見てください

亡くなり方だけで

もうすぐ 夫を見送ってから3年になろうとしています。

3年前の今頃は まだ入院中だったな。

でもその前の年 まだ夫が元気だった頃 私の方が仕事で悩んでいて

号泣していろいろ夫に話を聞いてもらっていたのもこの時期。

感情むき出しで話せる相手なんて 思えば母と夫しかいなかった。

号泣して落ち着いてからふと考え そんな存在がいてくれることを

心強く思ったことを思い出します。

娘が独り立ちする前にも一度 同じようなことがありました。

寂しさと 将来の 夫のご両親のとの生活への不安の思いを

ぶちまけて。

あの時も 夫はじっと聞いてくれていた。

何を言われたかは残念なことに覚えていません(笑)

でも そばにいてくれたことが本当にうれしかった。

そんな思い出もある春がやってきます。

 

1月にまた遺族会に参加してきました。

その時 いつも素敵な笑顔のお世話係の方のお話が心に残りました。

「亡くなり方だけで他の人に言えないなんて・・」

ああ そうだよなあ。

自死=なんだかふれてはいけないこと?

自死=みんなに知られたくない?→なぜ?

亡くなり方をどこかでこだわっていたのは実は私ではないかしら。

たくさんのいい思い出をくれた夫を 亡くなり方だけで悲しいことに

してしまってはいないかしら。

改めて考えさせられました。

亡くなり方は あの世へ移行する過程のひとつで 事故だったり病気だったり

自死もそのひとつ。

わかってたはずなのに どこかでわだかまりが少し残ってた自分にはっと

しました。

私がフォーカスすべきは たくさんの学びをくれた夫がいてくれたことであって

亡くなり方ではないことを改めて心に刻もうと思いました。

 

パパちゃん 今何してる?

いっぱい笑ってるといいなあ。

娘との時間

先日 娘と二泊で温泉旅行に行ってきました。

夫と三人で暮らしている頃 年に一度は家族旅行に行っていました。

三人での最後の旅行は夫が亡くなる半年前。

まさかあれが三人での最後の旅行になるとは・・

でもあの頃の写真を見ると 夫の笑顔はなくて。

その頃にはだいぶ心も疲れていたのかもしれません。

あれから3年弱ですが ちょこちょこ娘と小旅行をしています。

今回は 行ってみたかった東北の宿に二泊ののんびり旅です。

緑の中で ひたすらのんびりの旅でした。

 

思えば 4年前に娘は一人暮らしを始め その後私たち夫婦二人の生活に戻り 福岡へ引っ越しました。

初めのころはまさに空の巣症候群。

娘を中心に回っていた生活からの変化にとまどい しょんぼりする日々でした。

それにも少しづつ慣れていき たまに千葉に行って娘に会えるのを楽しみにしている

そんな生活でした。

それを思うと 今は顔を見たい時にはいつでも会えて 仕事の調整をして一緒に旅行も行ける。

一度は諦めた娘との時間がまたやってきました。

これはもしかしてパパちゃんがくれた時間かもしれない。

今回の旅行で ふと思いました。

娘がいなかったら まだまだ悲しみの中にいたかもしれない。

夫と私を選んでやってきてくれた娘がここにいる。

夫がいて 私がいて そして娘がいたあの時間は 間違いなくあったんだと。

そう思うとまた少し前を向けるのです。

 

でも いずれは娘も自分の家庭を作っていきます。

今の時間は それまでの期間限定のお楽しみかな。

娘に依存することのないよう ブレーキをかけながら 一緒の時間を大切に過ごそうと思っているところです。

 

今日は私の?回目のバースデー。

母が私をこの世に迎えてくれた日です。

母にも感謝の日。

今の私を父と母はどう見てるかな。

きっときっと 踏ん張ってる私を見守ってくれていることでしょう。

もちろん夫もハッピーバースデーと言っているだろうし。

皆に見守られていつでも私は幸せ者です!

ありがとう!!

 

 

 

三回忌

新緑の美しい5月。結婚生活がスタートしたのが5月。

そして 私の人生で最も悲しい出来事があったのも5月。

 

先日 夫の三回忌の法要で長崎に行ってきました。

長崎に夫の両親がいてお墓もそちらにあります。

家は 夫が定年になったらご両親と同居のつもりで 10数年前に建て直してあげました。

夫が亡くなってから2か月ほど 私も長崎でご両親と一緒にいましたが いろいろ話し合い 私は娘や妹のいる千葉で暮らすことにし 現在にいたります。

お位牌は私のところにも一つありますが 行事ごとは長崎で行うようにしています。

 

お寺からいただいてある法要の日程表が壁に貼ってありました。

命日から三回忌までの日程が書いてありました。

もうこんなに過ぎたんだと 改めてこれまでのことを思いました。

二年後どうなってるかなんて 考えることもできなかったあの頃。

亡くなって一週間後くらいか 少し眠れるようになった頃 朝目覚めて これからこの先未来もずっとパパちゃんに会えないのだと気付いた時。

出口の見えない暗闇に一人取り残されたような。

あの時の心境は まさに 絶望 でした。

 

あれから2年。今日まで何とか生きてきました。

パパちゃん今頃何してるかな。娘とよくそう話します。

買い物や旅行に行ってる時 ご夫婦連れを見るのが本当につらかったけど だいぶ慣れてきました。でも時々しゅんとしちゃうかな。

いってらっしゃい おかえりのある暮らしが当たり前にあったのに ある日突然なくなってしまった。それがつらいこともありました。

でもそれも その生活が消えてなくなってしまったわけではなく 私の中に大切な大切な宝物としてある。そして 間違いなくあった大切な時間と思うと なんだか悲しみも和らいでくることに気づくようになりました。

夫と過ごした27年。

その年月はもう増えないけど 一緒に過ごした思い出は消えてなくなったりはしない。

一緒に笑ったり怒ったり 二人で大事に子育てしたり。

大切な大切な 一緒に過ごした時間は消えてなくなったわけではない。

この思いを胸に これからも生きて行きます。

きっと夫は私と娘を見守ってくれているはずです。

 

遠距離恋愛をしているころの夫の手紙にありました。

「俺が迎えにいくまで精進せよ」

はい!精進しますとも。

また会えた時 いつもみたいに「大したもんだ」って言われるように精進します。

私の人生 これからですよこれから。

 

 

 

 

 

くるみちゃんのお父さんに泣く

めめ見たさで見始めた「舞いあがれ」

すっかり生活の一部になってしまいました。

先週の くるみちゃんのお父さんの決死のプロポーズ 気持ちが通じてよかった!

松尾さんの迫真の演技もあり そんな気持ちと共に いろんな思いが駆け巡り。

パパちゃんもこんな風に真剣でいてくれたこと

結婚が決まるまで いろいろ障害があってもあきらめないでいてくれたこと

そして 唯一そうやって真剣でいてくれた存在が 目の前からいなくなってしまったこと

そんなことを思い 朝から号泣してしまいました。

スーパーで 一緒にお買い物をしているご夫婦を見るのが 初め本当に辛かった。

もう私にはこの時間はないんだと。

今は少し慣れました。

どうやっても 時間を戻すことは出来ないと あきらめに近いかな。

でも これまで二人で過ごしてきた時間は 間違いなくあった時間。

 

 

自死遺族会

自死遺族会に 4度目の参加をしてきました。

初めて参加したのは去年の4月。

一周忌の前でした。

同じ経験をした方が どんな気持ちでいるのか 何を支えにしているのか いろんなお話が聞きたくて。

それから そこで出会った方とのつながりで 別の同じ体験をした方とお会いして勇気をいただいたり ヨガの先生からこれからの生き方のヒントをいただいたりして 今はだいぶ前を向けるようになりました。

あれから私は 同じような経験をし た方の何かの力になりたい気持ちが大きくなり グリーフケアを勉強したいと思うようになりました。

昨日はそんな気持ちでの参加でした。

自分の今の気持ちを話しました。

悲しいけれど行きつくところは 夫が私を心配しなくていいように 安心して次の世界にいられるように私は私で一歩一歩歩んでいく 

そんなことをお話ししました。

でも周りの方は まだまだ悲しみでいっぱいで どうしたらいいのかわからないという感じで そんな中で私みたいな ちょっと前に向いてる発言をしていいものかと悩んでしまいました。

がんの患者会にも参加していたのですが その時はとにかく皆さん前向きで がんに気持ちでは負けるもんかという感じの雰囲気でしたが その時の感覚で参加してはこれはだめだなと感じました。

そういうことを含めて グリーフケアの勉強なのでしょう。

まだまだ道は長いな。

でも悲しみの中にいる方に気付いてほしい。

いのちは永遠。かたちを変えて続いてゆく。

今までと同じ生活ではなくなるけど これですべて終わってしまったわけではないことを。

一緒にいた時間が 消えてなくなってしまったわけではないことを。

 

 

愛の人になりたい

夫がいなくなってから どう生きようかとかどうありたいかとか

いろいろ考えてきた。

まずは 夫がこちらの世界の私たちを心配しないですむようにしたい。

安心して 次のステージで輝いてほしいから。

私は時々は泣いてしまうけど 「なんで?」なんて責めないように。

それから

夫の苦しみがどれほどか 私はあまり想像できなかった。

夫のことだけではなく 私は今まで思いやりに欠けていたと思う。

それに気づいたこれからは 愛深い 愛の人になりたいと 私のちょっとした目標。

 

お正月 私の住まい(集合住)ははほとんど灯がついていなかった。

(一人でいるのは私だけか)と一瞬思いしょんぼりしかけたけど 他の人達は帰るところがあって そこで待ってる人がいて その人達が今とっても幸せかもしれない。

それならその方が私も幸せだと 今まで思ったことがないような気持ちがあふれてきた。

買い物中とかの同年代のご夫婦を見ると 今までは もう私にはこの時間はないんだと

悲しくなるだけだった。買い物途中で泣いたことも何回もあった。

でも今は 寂しい気持ちもあるけど それと同時に(一緒にいられる今の時間をどうぞ

大切にね。お幸せにね)と祈る気持ちも出てきた。

すこーし 愛の人に近づくことできたかな。

これからだよね。

 

 

クリスマス、お正月 クリア!

新年あけましておめでとうございます。

夫のいない2回目のクリスマスとお正月がもうすぐ過ぎようとしています。

娘が独立して 夫と二人で過ごしたクリスマスとお正月は 一昨年が最後になってしまいました。

最後のクリスマスは 二人でイタリアンで。

写真なんかいつもは撮らない人なのに あの時はお料理の写真全部撮って 娘にLINEしてたっけ。

お正月は自宅でのんびり・・してたつもりだったけど 夫はきっと 仕事の事で頭はいっぱいだったんだろうなあ。

 

一人暮らしを始めて 初めてのクリスマスとお正月。

娘が一日から泊りに来てたけれど クリスマスと大みそかに一人でいるのは もしかしたら人生初くらいのことだったかも。

世の中は誰かと過ごすのが当たり前のムードで 実際私も家族で過ごすのが当たり前と思ってた。一人の人は可哀そう くらいに思ってた。

そんな私が一人になった。

少し憂鬱だった。

あれあれ 意外と大丈夫。一人でワイン飲んで 好きなテレビ見て音楽聴いて。

お部屋も念願の間接照明を購入したのでいい感じ。

あっという間に過ぎちゃった。

 

一人=寂しい とか クリスマス=誰かと とか 思い込みを取っ払い 寂しさを認めなければなんか大丈夫な気がした。

ふと寂しくなっても その沼に落ちない術が少しわかった気がした。

寂しさとか悲しさはきっと全部はなくならない

でも それをつかまないで さらさら流して行ければ何とか生きていけそうな気がする。

また少し強くなれたかな。

寂しがって泣いてばかりいたら パパちゃんも安心できないもんね。

なんとかやってみるよ!

今年はどんな一年になるかな。5月には三回忌を迎えます。