オリンピックがあっという間に閉会式を迎えました。
いろんなアクシデントがいつになく多い大会だったような。
メダルに繋がらない結果になった時に、マスコミは‘’不運‘’という言葉をよく使います。
それ本当に不運なのかな・・・
メダルという部分だけを見たら、メダル獲得が確実くらいの実力の持ち主がアクシデントにより獲得できなかったのだとしたら、不運なのかもしれません。
でも彼らは、あの域に達するまでに、とてつもない背景があると思います。
それが全部、オリンピックのメダル獲得や点数だけで評価されてしまうんだろうか。
メダリストになれなかったら不運な人ってこと?
そんなことはないと思います。あの舞台に立てるまでにいろんなことを経験されてきた中で、たくさんの人生の宝物をお持ちだと思うのです。
そしてまた今回の経験を活かし、また次のステップという希望があるかもしれない。
そう思うと、不運や不幸って、周りの人が勝手に作り出すことと思えるのです。
本人がちっともそう思っていなければ、不運でも何でもない。
長い目で見たら、一時は良くないようなことに見えても、絶対、その人にとって悪いことは起こらないと私は信じているのです。
起きたことだけを見たら私は、不幸のてんこ盛りですよ。
極めつけは夫の自死ですからね。
それはつらいし悲しい一年でした。
でも、夫は絶望して死を選んだわけではありません。今はきっと、つらいうつ病からも解放されていると思うと、私が悲しみ過ぎるとかえって安らげないんじゃないかなと思ったりもします。
これが私の人生での修行の一つなら、潔く受け入れようと、なんか覚悟のようなことを思ったり。
なので、不幸とは思っていないのです。
勝手に ガン=死=不幸 未亡人=不幸 なんて思わないで欲しいな。
目に見える事だけでいろんなことを決めつけない。これは私の今年の課題でもあります。
オリンピックから こんなことを考えていました。