4ヵ月ぶりに長崎の家に行ってきました。現在、私の荷物はそのままで、洋服と必需品だけを持って千葉の妹宅で居候生活中です。
長崎の家は、いずれ夫が退職したら義父母と同居する予定で私たちが建て直してあげました。
夫がいなくなり、いろいろと考えた結果、家は義父母にあげて、一周忌が過ぎたら私は千葉に完全に引っ越す予定でいます。
夫が亡くなってすぐは、義父は私にそのまま長崎にいて欲しいと言っていました。
私自身もそうした方がいいのかなと初めは思っていました。
でも今まで度々滞在はしてるものの、ずっと一緒に生活となると、生半可な気持ちでは難しい、、長崎でも田舎の方なので、お葬式ひとつにしても謎のルールだらけ。私にしたらそんなことは重要ではないと思うようなことも田舎では大行事だったり。夫という存在があれば全然違うのでしょうが、私一人ではずっとアウェイ、、、パパちゃん私を良いように導いておくれとお願いしていたら、ある日突然義父母が「あなたは好きなようにしていいけん」なんて言い出しビックリ!
冷静に考えたら義父母も、夫抜きで他人である嫁と同居ではいろいろと大変だと気付いたのでは(笑)
後日、いただいた夫の退職金を少しもらえないかと言われたのですが、それでお二人だけで何とかやってもらえればと思いさしあげました。夫も安心するでしょうし。
一応一周忌までは住所も荷物も長崎にままにしておくことにし、100日法要が終わった昨年の8月末から千葉で居候生活してます。
頻繁に長崎と行き来するつもりだったのですが、コロナ禍でそれもなかなか難しく、今年になって初めて行くことが出来ました。
長崎の家の、私の荷物を置いてる部屋は家族の歴史の最終形態みたいなもの。
写真や思い出の品がたくさんです。
居候生活には身の回りの物しか持ってきていないので、ずっと旅行先にいるような感じです。これはこれで快適なんですけどね。
久しぶりに家族写真に囲まれていたら、なぜか悲しさよりも、間違いなく確実にあった幸せな時間は消えてなくなったりはしない!と、何かどんどん力が湧いてきました。
姿はなくなったけど、積み重ねてきた27年は簡単に消えやしない!と。
夫が応援してくれたのかな。
これから家族3人の思い出は増えないけれど、私の中には素晴らしい、幸せな時間の思い出が間違いなくあり、それは永遠に消えたりしない。そしてそんな時間をくれた夫にますますありがとうねと言いたくなりました。
きっと、寂しい思いをさせてすまんと、夫は思ってるでしょう。謝らなくてもいいくらい、私は私のすべきことを見つけて元気になるよ。
夫のお墓から見える景色。大村湾が一望できます。
夫はこの景色が大好きで落ち着くってよく言ってました。