がんサバイバー50代主婦 突然おひとり様になりました

夫が自ら旅立って生活が一変。まだまだ生活が落ち着かないけどリスタートを見てください

引越し完了。そして義父母との別れ

九州は台風がどうなるかと心配だったのですが 引っ越し当日のお昼くらいには風も収まり 何とか予定通り運送会社さんにも来てもらえて荷出しも完了。

愛車も陸送で同時にお願いすることにしました。

荷物整理をしている時 義母がたびたび2階にやってきては涙ぐみ。

「もう来ないわけじゃないですよ、まだまだ来ますからね」と言いつつ私も泣いて。

去年の7月と8月の2か月は義父母と私は一緒に暮らし それから私は千葉の妹宅で居候生活し始め 3か月おき位にPCR受けて千葉から長崎へ移動し 10日間位滞在していたような1年でした。

夫がいる頃は 夫のお母さん、という感じの距離があった気がします。

去年の5月に夫が亡くなってからは 私がいることで少しでも悲しみから気が紛れればと接していたので また違った関係性が出来たように思います。

夫を福岡から長崎へ連れて行った時 私はご両親から「どうして目を離したんだ」と責められるのを覚悟していました。

逆の立場だったら 夫が実家にいてそのようなことがあったら 私はきっとご両親にそういったと思います。

でもご両親はそんなことは言いませんでした。

泣きながら「大変だったね」と。

その後も義母は気丈に弔問客に接していて そんな姿を見ていたら申し訳ない思いでいっぱいになってきて 私は「お義母さんごめんね!」と言いながら義母に抱きつき 2人でしばらく泣いていました。

夫と4人で住むはずだった家で 夫のいない3人で過ごした時間は悲しく でも優しい時間でした。

それぞれが 言葉には出さないけどいたわりあっていた時間だったと思います。

義父母たちよりも私の方が夫と一緒に過ごした時間が長くなっていましたが 血のつながった大事な息子を亡くしたんですから その悲しみは計り知れなかったでしょう。

でもお二人で支えあって なんとか生きていこうとされているようでした。

そんな義父母とも私の引っ越しで少し会う頻度は減ってしまいます。

でも長崎は私にとっても大切な場所。

義父母とこれっきりになるわけではありません。

永遠の別れではないのでね また新しい形でのスタートです。

おととい千葉の新居に荷物も到着しました。

妹の家から少しずつ荷物を移して 新居の生活へとシフトしていこうとしているところです。

長崎の家から見える朝日は希望でいっぱい!